アンディが言っていた「繋がったまま、別れた」という言葉のとおり、
熱い想いと、心地よくゆるい繋がりを感じて、夢見心地なままに過ごした1週間だった。
1週間たって、燃え尽きた感覚におちいるとは想っていなかったけど(笑)
少しだけ落ちついて、チカラ入れずに「初めての授業」の感想を書けそうなので、綴っておきます。
2ヶ月前を過ぎた頃だったかな、モス(中山店)で二人で話しをしたあの日が、
僕にとってのオープンキャンパス準備の、本当のはじまりだった気がする。
「何年かが過ぎていって、降り返ったときに、あの日がはじまりでよかったね。」
そうみんなで言えるような一日にしたいねと、伝えてもらった。
たぶん、その言葉をきっかけに、「初めてする授業」と真剣に向き合えたと想う。
森の学校での音楽祭だから、この授業を通してもっと音楽を楽しめる授業を。
そんな想いから、丸さん、僕と切通さんが担当した音楽の授業づくりがはじまった。
この夏は、自然と音楽との出会いや触れる機会が多かった気がする。
音楽を奏でる人、その楽しさを伝える人、支える人。ずっと、続ける人。
とにかく、みんな夢中だった。音楽ってものに対して。
そして、ふだんの暮らしとの間で、みんなそれぞれの関わり方がある。
なんだか、そのへんを知れたことがとっても心地よかった。
(ここらへんの話は、後の授業レポートで書く予定)
準備の途中で、どーしても気持ちを入れ替えたい時があって、
「しょうぶ学園」へ行ったことがあった。
「otto & orabu」のライブ練習を見に。
もう、言葉には表すことはできなくて、
カラダの腹の底の底から、ドドッと響いてきてゾクゾクする。
こんなふうに音楽をカラダいっぱいに感じる体験は初めてだった。
福森園長が、こんなことを言っていました。
「僕たちは、自由に弱いよね。自由に歌っていい、踊っていいと言われることに。弱い。
何もできなくなる。でも、彼ら(otto)は、その途端に喜びだす。“彼ら”は、自由に強い。」
ottoの音とともに、この言葉がカラダのなかにはいりこんできた。
GNJ開幕のセレモニーがはじまるかのように、バッハの音楽が森に響きはじめる。
僕たちのはじめての授業。
音楽の楽しさを伝えようとする先生方の授業をいちばん近くで受けた。
先生の話しの後ろの方では、大好きな先輩の歌声が聞こえてきたから安心した。
あまりにも夢中になっていたから、大事なこと以外の記憶はあんまりない。
ただ、「はじめての授業が、音楽でよかった」と心から想えた。
授業をとおして、DJのみなさんの音楽をとおして、アーティストのみなさんの音楽をとおして、
そして、響いていくように、それぞれの表現で楽しむみんなの姿をとおして、そう想いました。
「自由に強い“彼ら”の音楽は、やっぱり自由だった。不思議とみんなも自由になっていく。」
夏休みの宿題が終わっていないせいか、小学校の頃の「自由研究」を想い出した。
唯一、与えられた課題ではなく、自分で何を「知りたい」のかを「自由」に学ぶ。
僕たちがこれからつくりたい授業は、たぶんこういうことなのだと想う。
“彼ら”のように自由に、“音楽”のように楽しい、そして隣りにも響いていくような。
その時に、きっと大切なのは少しでもいいから自ら「動く」こと。
そして、動きたくなるようなきっかけが、そこにあること。かな。
そういう“未来に大事にしたい”とっておきを教えてくれたのが、GNJという時間だった。
一週間たって、ようやくそういうことに気づけた。
あの日のことと、これからのことを、夜に染まる森の学校でうとうと考え、
「ありがとう」を伝え、「どうか、来年も晴れてください」とUFOの見えた星空に願って、
念願のスイカを食べて、この夏を終えました。
これから、自由につよくなりたいね。すこしずつ。ゆっくりと。
追伸。
今回、時間のない中で集まってくれた、サクラ島大学のサポーターのみなさん。
心からありがとうございます。素敵な笑顔をありがとう。
サクラ島の久保
2010年9月8日水曜日
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